大乗仏教(だいじょうぶっきょう、Mahāyāna Buddhism)は、伝統的に、ユーラシア大陸の中央部から東部にかけて信仰されてきた仏教の分派のひとつ。自身の成仏を求めるにあたって、まず苦の中にある全ての生き物たち(一切衆生)を救いたいという心(⇒菩提心)を起こすことを条件とし、この「利他行」の精神を大乗仏教と部派仏教(=俗称「小乗仏教」)とを区別する指標とする。
大乗(Mahā(偉大な)yāna(乗り物))という語は、般若経で初めて見られ、一般に大乗仏教運動は般若経を編纂護持する教団が中心となって興起したものと考えられている。般若経典の内容から、声聞の教え、すなわち部派仏教の中でも当時勢力を誇った説一切有部を指して大乗仏教側から小乗仏教と呼んだと考えられているが、必ずしもはっきりしたことは分かっていない。なお思想的には、大乗の教えは釈迦如来入滅の約700年後に龍樹(ナーガールジュナ)らによって理論付けされたとされる。
釈尊の教えを忠実に実行し、涅槃(輪廻からの解脱)に到ることを旨とした上座部仏教に対し、それが究極においてみずからはどこまでも釈尊の教えの信奉者というにととどまるもので、自身がブッダ(如来)として真理を認識できる境地に到達できないのではないかという批判的見地から起こった仏教における一大思想運動。
釈尊が前世において生きとし生けるものすべて(一切衆生)の苦しみを救おうと難行(菩薩行)を続けて来たというジャータカ伝説に基づき、自分たちもこの釈尊の精神(菩提心)にならって善根を積んで行くことにより、遠い未来において自分たちにもブッダとして道を成じる生が訪れる(三劫成仏)という説を唱えた。この思想をもっとも明確に打ち出した経典に法華経や華厳経がある。
自分の解脱よりも他者の救済を優先する利他行とは大乗以前の仏教界で行われていたものではない。紀元前後の仏教界は、釈尊の教えの研究に没頭する余り民衆の望みに応えることが出来なくなっていたとされるが、出家者ではない俗世間の凡夫でもこの利他行を続けてさえいけば、誰でも未来の世において成仏できる(ブッダに成れる)と宣言したのが「大乗仏教運動」の特色である。
声聞や縁覚は人間的な生活を否定して涅槃を得てはいるが、自身はブッダとして新しい教えを告げ衆生の悩みを救えるわけではない。が、大乗の求道者は俗世間で生活しながらしかも最終的にはブッダに成れると主張し、自らを菩薩摩訶薩と呼んで、自らの新しい思想を伝える大乗経典を、しばしば芸術的表現を用いて創りだしていった。
伝統的に大乗仏教を信仰してきた地域の諸宗派は、これらの大乗経典は釈尊が成道して以来40数年の間のどこかで説かれたものとみなしているが、成立しはじめた当時すでに仏教の内部から大乗経典は勝手に創作されたものであり正統な仏教とは言えないという批判があった(上座部仏教からの「大乗経典偽経」説)。
また、現在においても主にこれを根拠に大乗仏教が否定的に評価されることも少なくない。
近代に入ると文献学的研究が進み、仏教思想は段階的に発展したもので、そもそも上座部をもふくむ仏教の経典全体が数世紀という長時間をかけて徐々に成立してきたものであって、まして比較的成立の新しい大乗経典は、その中に釈迦が直接説いた教えはほとんど見られないばかりか、まるで釈迦の意図しなかった教えであるとする大乗非仏説説も唱えられた。
これらに対し大乗仏教の側からは、
・小乗仏教と大乗仏教は同時に並行して伝えられて来たものである
・釈尊が大乗仏教なる邪説が起こるなどとは予言していない
・仏教以外のいわゆる外典とくらべて大乗の教義が優れている
・実際に大乗を信奉して利益がある
などの理由を挙げて大乗仏教の正当性を主張している。
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